何よりも楽しく生きることを優先していたら
こんな大人になりました。。
こんにちは、ガチサイクルショップ・GPサイクルの後閑卯辰(ごかん・うたつ)です。
変わった名前なので、「うさぎ年か、辰年の生まれ?」とよく聞かれます。
もちろん、ねずみ年生まれです。はい。
でも名前だけではなく、昔から「変わった奴」と、周りの大人にも、友達にも言われてきました。自分としては、やりたいことをやっているだけなのに、「ちょっと変な人」的なポジションをいつも選んでしまっていたようです。
ただ、僕にとって、変わった奴、と言われることはうれしいことです。
人と違う経験、人にはできない選択をしてきた結果だと思うからです。僕にとってのいい人生。その結果が、変わった奴、なのです。(そう思いたい。汗)
そして、「自分の気持ちに嘘をつかずに生きる。」
それを続けてきたら、いつの間にかスポーツバイク専門の自転車屋さんになっていました。
よろしければ、バイクショップを開業するまでになったいきさつを、少しお伝えさせてください。
スポーツバイクは高額な商品が多いですし、危険を伴う場面で使用されることもあります。
だからこそ、どんな人間が責任をもって販売しているのか、を伝えておくことは、購入されるかたにとっても重要なことだと思うのです。
少し長いかもしれませんが、僕の自転車に対する思いが詰まっていますので、少々お付き合いしていただけると嬉しいです。
自然大好きバカ
僕は自然の中での遊びが大好きです。死ぬほど好きです。実際3回は死にかけています。
マウンテンバイク、ロードバイク、フライフィッシング、カヌー、キャンプ、山登り、沢登りなどなど、アウトドア全般、ほとんどの遊びをこの人生で楽しんできました。
自然が好きすぎて、中学を卒業すると同時に、尾瀬の麓にある自然環境科のある高校に、15才で単身下宿しながら3年間通いました。
冬は学校にも行かずスキー三昧(いや部活ですよ)、夏は山に繰り出し渓流で川遊び。友達と日が暮れるまで魚を採ったり、泳いだり、焚火をしたりして過ごしました。
そして、山が好きすぎて、大学では林業を学びます。
卒業後はMTBの競技をやりながら、地元にある林業系の会社に就職します。
マウンテンバイクの競技を本格的に始めたのはこの頃で、ダウンヒル種目で全日本選手権を目指しています。山に行けないときの練習のためにロードバイクもやっていました。
職人気質の先輩社員ばかりで精神的に猛烈な修行を強いられる環境でしたが、5年は絶対に働こうと決めていました。1年以上、誰もまともに会話すらしてくれない日々が続きましたが、なんとか5年を耐え忍びます。
ここで、どんな人間ともコミュニケーションできる能力が身に付きました(笑)。
お金はないけど大好きなことはやめられない
いつもお金はなかったので、時には500円玉を握りしめて練習場へ通い、昼はペヤングとコーラでカロリー摂取。
でも大好きな自転車だけはやめられませんでした。(お金がないというよりは、全て自転車に使っていたというほうが正確かもしれません。)
酒もギャンブルもやりませんでした。泥まみれなって山を必死で下る日々です。
何年かして全日本選手権にも出場しました。ただ、レースで怪我もしてしまい、練習後に汗をかいて仕事に行く毎日に少し疲れていたこともあり、いろいろな意味で区切りをつけるため、5年働いた会社を辞めることにします。
運命の地 カナダ・ウィスラー
ちょうど会社を辞めるタイミングで、前職のサイクルショップFUNの店長が、マウンテンバイクの聖地、カナダのウィスラーに行かないかと誘ってくれました。(帰国後、FUNで働くことになるのですが、この時はそんなことになるとは思っていませんでした。ただの無職の青年です。)
でも、カナダに行くお金がありません。毎月半分も過ぎるとカップ麺の生活というのが当たり前な感じでしたし、会社も辞めてます。
お金はないけど自転車はたくさん持っている。そこで、持っているバイクを売って、お金を作りました。
ここからが、僕の人生を変えた、七日間の始まりです。
世界を変えた七日間
ウィスラーでの7日間はまさに夢のような体験でした。
自然バカの自分が、これまでの人生で一番感動した瞬間、いや瞬間というより、7日間ずっと感動し続けていました。
これほど魂がブルブル鼓動した感覚は、後にも先にもあの時だけです。
広大な山脈の尾根を、森の中を、グリズリーの生きる大自然の中を、毎日マウンテンバイクに乗って駆け抜けました。
心が躍る
本当にその言葉がしっくりくる、夢のような時間が流れていきます。
「生きるってこういうことか。。」
はじめて自分が、本当に自分らしく生きている感覚、というものを体感そして実感しました。
言葉では表しきれないですが、胸の奥がぐっとして膨らんでくるような、自分と自然が一体となるような、周りの空気や地面や木々が光り輝いて、とても心地よくて。やっぱりうまく表現できません(笑)
そして、旅のメインイベントです。
テスト・オブ・メタル
僕の世代でマウンテンバイクをやっていた人なら知っているかもしれませんが、「テストオブメタル」というレースに参戦しました。募集開始から数時間で枠がなくなる、北米大陸で最も人気の高いMTBレースの一つです。
http://testofmetal.com/
老若男女、全ての人が心から自転車を楽しんでいる。そんな光景を目の当たりにしながらのレースです。観戦者の応援もすさまじく、箱根駅伝を走っているかのような状態です。
控えめに言っても、
楽しい! 楽しい !楽しい!
レース後は参加者も応援の人も、みんなでワイワイやりながら、ホットドックにコカ・コーラ。それが最高に心を躍らせ癒すのです。
カナダは緯度が高く、白夜が続く季節には、夜な夜な市民レースが開かれます。そして、ホットドックにコカ・コーラ(笑)
「時間よ止まれ」、本気で心の底からそう思いました。死ぬまでにもう一度体験したことがあるとしたら、これです。
この瞬間を日常に、人生の当たり前にしてみたい。日本でもこんな体験をできないだろうか。
これが、僕の新しい夢が出来た瞬間です。
夢と現実
日本の地で山を買い、理想のマウンテンバイクパークを作る。そして、そこに自分のショップで自転車を買ってくれたお客さんが集い、レース後にホットドックにコカ・コーラをする。そんな体験を提供したい。そして自分も一緒に楽しみたい。
そんな夢が漠然と心の中心に描かれます。
しかし、帰国して成田に着いた時の全財産は現金300円とクレカの借金。
FUNの店長に「これからどうするの?」と聞かれ、「なんとかします」とだけ答えました。
その後も、MTBパークのためにどうやってお金と経験、そして人脈を作るか。そればかり考えていました。
夢の準備の10年間
少ししてから、FUNの店長からメカニックとして働かないかと誘っていただき、まずは生活の基盤を手に入れることができました。(店長ありがとうございます!)
この選択が、今になって思うと、とても重要なものでした。
FUNで働かせていただいた10年で、少しばかりの軍資金、そしてメカニックとしての有り余る経験、自転車業界の広い人脈ができたのです。
結婚もしましたし、子供も生まれました。でも夢はあきらめていません。
妻の応援もあり、いつしか独立する流れになります。(妻には本当に感謝しかありません。入籍した時には貯金が3万円しかなかったのに、笑って許してもくれました。)
2020年。自分の夢をかなえるために、25歳の7月1日から35歳の6月30日まで、ぴったり10年間働いた、サイクルショップFUN(佐野)を退職し、今のお店を開業することになりました。
ここまでが、僕がスポーツバイク専門店を経営するようになったいきさつです。
(スポーツバイクの販売、組み立て、整備に関する情報はこちら)
最後に
僕はリアルでロールプレイングゲームをやっているみたいな人生を歩んできました。エクスカリバーを手に入れてステージが進むなら、迷わず全財産を使って買う。自分が好きなこと、やりたいことにお金と可処分時間を投入する。そういう生き方をいつの間にかしていました。(スポーツバイクはこれまでに20台以上買いましたし、自慢ではありませんが貯金はほとんどできたことがありません。)
次はMTBパークの立ち上げです。
そのために、僕はこれから10年間 夢のために一生懸命働きます。
そして、皆さんに、あなたに、自分の持てる全ての知識と経験を提供します。
僕が役に立てることは自転車のことくらいですが、あなたのサイクルライフを最高の体験にして行くお手伝いならできます。
何かに夢中になれる人は素晴らしい。それが自転車であるならば、僕があなたを精一杯に応援しサポートます。
別に高額なバイクを買う必要はありません(買ってもらえると嬉しいけど、、)、バイクの話をしにきてくれるだけでも、フィッティングの悩みを相談してくれるだけでも、少しでもお役に立ちたいと願っておりますので、ぜひ一度ご来店ください。
小さな町の小さなお店ですが、あなたにとっての世界一の自転車屋になるとこを誓います。
お店はまだまだ自転車操業ですがコツコツと頑張っていきます。
恩を受けたら損をしてでも恩を返す。それが後閑のモットーです。
大人も子供も女性も男性も、みんなでワイワイ楽しめる場所。そんな空間と時間を一緒に作っていきましょう!
GPサイクル代表 後閑卯辰
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